A sense of Rita Dialogue with TAKESHI KOBAYASHI

vol.12 島袋 道浩 さん

小林武史が各界のゲストを招いてさまざまなテーマで語り合う対談連載。
今回のゲストはアーティストの島袋道浩さん。
Reborn-Art Festivalにも参加していただいてきた島袋さんとアートや音楽と社会の関わりについて語っていただきました。

「利他」と「利己」って相反しないじゃないですか
アーティストやっていたら。

小林:話したいことは、これからのReborn-Art。
できれば、サステナビリティということが、アートの側面から、触れられるといいかなと思っていました。でも、そこからはみ出して言いたいことが出てきたらいいし、全部つながってくることだと思うから。

島袋:小林さんから「RITA 利他」って聞いてびっくりしましたけど。「利他」って一応、言葉の意味としては「利己」の反対ということですよね?

小林:「小林武史が利他って言いました?」みたいな感じだった?

島袋:うん。だって「利己」の反対の意味だけど、小林さんもずっと音楽をつくっていらっしゃって、僕も25年ぐらいアートをやっているんですけれど、アーティストやっていたら「利他」と「利己」って相反しないじゃないですか。

小林:最初に「相反しない」とパッと言うのもすごいと思うけれど。僕もそう思います。

島袋:そうですよね。音楽を考えたって、超個人的なことがみんなのものになっていく。逆に言うと、みんなのものにしようと思って作っても、うまくいかないことが多いと思います。芸術家、アーティストとか音楽家って、自分の好きな人のためのラブレターみたいなものが、それこそ「エリーゼのために」とか、「いとしのエリー」とか、「順子」とか、「アンジー」とか、そういう利己的なものがみんなのもの、利他的になっていくわけじゃないですか。究極の利己が究極の利他につながる、みたいな。だから相反しないと思うんです。
例えば、小林さんは音楽をつくる時どういうふうに?「みんなのために」と思ってつくっているんですか。

小林:個人的な思いのほうが、もしくは漠然としていたりすることのほうが多いけど。でも、どこかで触媒みたいな感じがあるから。そこに響いていく方向にただ行くだけで。

島袋:そうなんですよね。長くモノづくりをしている人というのは、「利己」と「利他」の区別がなくなって、一緒になっていると思うんです。僕も自分でモノをつくっていて、その辺が。自分のためにつくっているのと同時に、みんなにつながっているという感覚もあるんです。自分のためだけにつくっているわけではないんです。もちろん、自分の価値観とかモノサシしか使えないんだけど。

小林:そう思います。Reborn-Art Festivalという場をつくっていること自体も、僕にしてみると、1曲単位のものよりアルバムぐらいの。本当はもっと大きいけれど。響いていくという何かを感じながら、そこをいろんなことでadjustしていくというふうに思ってできていったものだとは思うんです。
元々は、福島が、東京の経済を支えるために原発をやって、それが事故を起こして、今もまだ元に戻るには大変な場所になって、その上で東北で、また大きな経済合理性に依存して復興するということではない形を、少しでもやらなきゃ駄目でしょ、という思いでやったんです、Reborn-Art Festivalは。

島袋:そういう中で石巻で、というのは小林さんの個人的な思い入れから始まっていますよね。

小林:個人的な思いというのは?

島袋:世界的に言うと、福島とか陸前のほうが象徴的な場所としてあったのかなと。「なぜ石巻なんだ」と常に言われていたことじゃないですか?

小林:福島の方々には、「何で、福島でやってくれないのか」と言われたこともあったので、申し訳ないなと思ったけれど。少し距離を置いた所から、福島の未来にも何か伝わるような活動をしていきたいという思いではいたんですけど。

島袋:興味深いのは、小林さんは音楽家なのに、これをきっかけにアート、美術をやろうとしたこと。それが僕みたいな美術家からすると面白い。僕が勝手に解釈しているのは、音楽にできること、美術にしかできないことを発見されたのかなと思って。音楽にできないことが美術にはできるんだと思ったからやっているんだろうなと僕は勝手に思っているんですけど。

小林:僕はフラムさんの「大地の芸術祭」(https://www.echigo-tsumari.jp/)に影響を受けたこともあって。本気で地域の中に入り込んでいることとして、手段としてアートってあるんだということ。昔からの美術の潮流からいくと、かなり新しいやり方だったんでしょう。それも廃校とアートを組み合わせるとか。

島袋:そうですね。ここ何十年かの傾向だし、日本で成功しているというか、流行っている。

小林:音楽は、コマーシャリズムだったり、ある種のポピュリズムだったり、方向性をつけていって、みんなを一つに束ねていくみたいな力は強いけれども、それの危うさみたいなものを感じていたし。
アートの場合は、作品の前で何に出会うのか。それはまったく決めごともないし、お約束で誰かが引っ張っていってくれるわけでもないんだけれども、そういうあり方が必要だと思ったということもあります。
それと、地域ということとの関係性をちゃんとつくっていこうとするとと、アートは、僕らが音楽でやってきた、3日間お邪魔します、撤収して帰ります、みたいなことに比べれば、結びつきを深くつくれるだろうなと思ったので。

島袋:両方必要なんでしょうね。両方をうまく組み合わせることによって、Reborn-Art Festivalって、特別なものになっていくし。両方あるからRebornは面白いんだろうなと思います。
音楽家がやっているのって、中国鍼一発みたいな感じですよね。アートがやっているのって、2時間マッサージコースみたいな、ゆっくり時間をかけてという。アーティストがずっと滞在して、地元の人と交流が自然と起こったり。でも、両方必要だと思います。
僕は正直、音楽家がうらやましいところもあります。一発で心をつかめる。こっちは資材の搬入とか準備がいろいろあって。アート、美術は重力と戦っていると最初から思っているんですけど、音楽はある意味、無重力じゃないですか。虹を出そうと思ったり、雨を降らそうと思えば歌の歌詞の中では一瞬でできる。あっという間に世界を構築できるじゃないですか。僕ら、石を何個も買ってとか、木を運んできて切ったり。いつも重力のある世界の中でやっている。重力とずっと戦うのが美術家で。そういう意味で、音楽家の人はうらやましいところがあります。その両方をうまくやっていけばいいと思うし。Reborn-Art Festivalが特別なのは音楽とのコンビネーションだと思います。

小林:確かに、音楽は時間軸とともにあって、鮎川なんかは、青葉市子ちゃんとかも入ってくれていたからというのもあるけれども、音楽と共にも進んでいくキャンプみたいな感じだった。

島袋:逆に、いろんなコンビネーションをもっとこれから考えられると思います。Rebornを続けていく中で。前回、僕が鮎川でやったのは一つの提案ですよね。音楽家と写真家とか美術家とかと、どうやってやれるかという。Reborn-Artの中にチビッコ・リボーンを提案するような気持ちでやっていたんですけれど。こういう音楽と美術の組み合わせで、音楽家の青葉さんがインスタレーションやって、それを超えてバーまでやっちゃう。

小林:「飲み屋もやっちゃえ」とか。

島袋:鮎川はそんな感じでしたね。

美術が持つゾクッときて細胞が開くみたいな感じ
それはウェブでは伝わらない

小林:とにかく島袋くんが3年前にやった「起こす」実はすごく錬りに錬ったとか、構想何年みたいなものとは違うんだろうけれど、ものすごくハマりました。

島袋:でも一応、あれは構想2年ぐらいです(笑)。あれで。モノをつくるって、足し算とか積み上げていくだけじゃなくて、ある時ガバッと引く作業も必要だと思うんです。足し算だけする人も多いんですけど、僕は引き算するほうが多いかも。あれは、引いてモノをつくる典型です。

「起こす」島袋道浩

小林:何から引くとあれになったんですか。

島袋:もちろん、あそこにいろんな物資を投入するというやり方もあると思うんですけど、あそこの場所は国立公園なので、モノを置いてはいけないというのが基本としてあった。そこでいろいろと交渉したりしてなんとかしてモノを持ってくるという手もあると思うのですが、僕は最初から何か持ってくる気はなかったんです。最初からあるものでという。もうひとつは、僕はあまり体力がないというか体力に頼らないというのも、いいように作用していると思います。体力がある人って、ついついやり過ぎてしまうところがあると思うので。

小林:とは言いながら、お客さんにはメチャクチャ体力的なことは強いた作品じゃない。

島袋:あそこに行くのは大変、なかなか体力いりましたよね。

小林:でも、それは大事なことだったんだね、あの作品にとっては。

島袋:大事。今、テレビとかYouTubeとかGoogleの検索とか、何でもそうですけど、努力せずにある程度分かったような気持ちになれる。でも美術は、その場にいて、空気とか温度とかを一緒に感じなくてはならないメディアだと思っているんです。だから僕、ほとんどデジタル系はやってないんです。ウェブとかで出さないようにしていて。現場に来て欲しいんです。空気を味わうというのを分かってほしい。
面白い話があって、ボイス分かります?(※ヨーゼフ・ボイス/ドイツの現代美術家・音楽家・社会活動家)

小林:はい。

島袋:彼が1980年代に日本に来て西武美術館(セゾン美術館)で展覧会、インスタレーションしているんですけど。作品を全て設置して、最後に「何か直すところありますか」と美術館の人が聞いた時、しばらくじっと空間を見つめて「温度を2度下げてくれ」と言ったらしいです。そういう世界だと思う。それって、ゾクッとするじゃないですか。「うーん、ちょっと温度が高い。2度下げてくれ」と。
そういう中でやっているんだというのを、インターネットで見て「Reborn、こんな感じね」と思っている人には分かってほしいですね。のり浜(※石巻市鮎川の海岸。島袋氏の作品『起こす』が設置された場所)で、ヒルに血を吸われたけれどそれを超える何かがあるとか、新品の靴がドロドロになったけど、でも来て良かったとか。そういう体験ですよね。
もっと言うと、美術って健康法だと思うんです。いい美術、いい作品、音楽もそうだけど、ゾクッときて細胞が開くみたいな感じってあるじゃないですか。いいものを見た時って。ほんとに元気になると思うんです。音楽もそうですよね。小学生の時にジョン・レノンとか初めて聞いた時、細胞が開くみたいな感覚とかありました。ああいう感覚。いい作品は、見ることを通して体の細胞にまで届くというか。それってウェブで見ていると伝わらないと思う。

小林:美術って、いい悪いというよりも、簡単に大衆に切り売りされるというよりは。音楽だって、もともとはとても貴族的な遊びの部分がすごくあったわけで。美術も恐らくそうだったはずなんだけど、今は貴族というよりも、かなりの富裕層の。

島袋:一方ではアートフェアとか。

小林:投資対象みたいになっている側面もあるけれども。だからこそ、あまり単純な大衆の、ただの商売に組みしないで済んでいるというところもあると思う。例えば社会に対してのカウンターな立場の取り方とかも、日本の音楽業界とかに比べれば、よほどマシな部分もある。
僕もよく分からないんだけど、島袋くんが語る美術の遍歴というか。普通で言うと、例えばピカソやゴッホくらいまでの時代から今の現代アートのアートパフォーミングみたいなことも含めた遍歴って、何が起こってこういうことになっている?

島袋:ひとつ思うのは、西洋美術やアメリカのアートとかが入ってきて、日本固有の美術のつながりみたいなもの、古代から続いているものが見えにくくなっている部分があると思っていて。僕はそれを割と引き継いでやっている人間だと思っているんですけど。具体的に言うと環状列石とか。東北とか九州に行くと、石を円状に立てて並べているとか、古代の人、僕たちの祖先はやっています。「起こす」って、ああいうのにつながっていると思っています。寝転んでいた石をただ起こすという。そこで人間が始まる感じ。仲間が死んだ時に、この人が生きていたということを、言葉以前のところで。一緒に歩いていた人が行き倒れて、何か残したい時に、何か置いたりしたと思うんです。まずは石ころ一つ。置いているだけじゃ目立たない、立てたほうが目立つとか。そういうところと僕の「起こす」とか、つながっていると思うし。間のものを省くと、結構分かりやすいと思います。
もうちょっと途中のことで言うと、日本の、僕がやっているようなコンセプチュアル・アートと定義されることは、一休さん(※一休宗純和尚。禅の思想による「頓知」を説いた破格の名僧として知られる)とか禅僧、ああいうところとつながっていると思うんです。途中の西洋美術の歴史とかを取り払って、日本の直属の先祖たちがやってきたことみたいなものを見ると、すごく分かりやすいことをやっているんだろうと思っているんですけど。一休さんでも、一つの言葉や行為でその場をガラッとひっくり返してしまうとか。そういうことですよね。ヨーロッパにはデュシャンがいたけれど、日本にはそのずっと前に一休さんがいた。

小林:解体してそれを再構成する、みたいな流れというのは音楽にもあるし。アートの場合、そこにテクノロジーが入ってきて、というのもあるけれど。なるほど、島袋くんの「起こす」は言われれば、それはそうだな、と。

島袋:人はきっと、そういうものをDNAの中に持っているんです。だから、「起こす」みたいな作品を見た時に、全人類的な、ずっと昔の記憶みたいなものに触れられるんです。それで、あそこに行った人たちに化学変化が起こっている。
実は今度のモナコの新国立美術館の個展のポスターも、Rebornの「起こす」、のり浜の写真を使っているんです。モナコのキュレイターと話して「これがいい」と言って。僕にとっても、あれ以上シンプルで、あれ以上力のあるものってこれから作れるのかな、と思っています。小林さんに聞きたいのは、傑作をつくった後って困りませんか?

小林:さぞ困っているだろうなと思って。でも傑作って、しばらくいろんなものが縦に並んでくるというような、手応えのようなものが。そういう感じがあったでしょう?

島袋:傑作って、すべてのいろんなものが交わる所にあるものというか。実は、見る人によって全然違うことを言ったりするものだと思います。100通りぐらいの意味を持つのが傑作なんです。見る人によって、それぞれの意味が持てる。それが一方通行になると、大した作品ではないと思います。極端に言うと、「この作品はこうです」と説明して、みんな「はい、はい」と言うのって、実はそんなにいい作品じゃない。音楽もそうなんでしょうね。

小林:狙い通りにいったやつは、まあまあそんなもんだ、くらいだけど。スタジオがあってスピーカーがあって、この辺から下りてきたな、みたいな感覚なんだよね。

島袋:そういう感覚、わかります。

小林:そういうのが来た時に、確かに双方向というか、いろんな角度からの何かが、エネルギーが、活かされてよかったね、みたいな感じに。

島袋:小林さんでもそういう感覚がありますか、いいものができる時。

小林:まあ、ありますね。

島袋:前に話したかもしれないけど、「起こす」の時も、「みんなで『せーの』で引っ張ろう」と言っていたら、ボランティアで来た人の名前がセイノさん親子。子どもが「何で僕の名前知っているの?」とか。そういうのって、神様が送り込んできた子どもみたいなところがあるし。のり浜の降り口の所、「石を並べて歩きやすいようにした方がいいから、そこの男の子、そこの平たい石を持ってきて積んでおいて」と言ったら、その子の名前がヒライシ、平石くんだった。
そういうのって、神様のいたずらというか。そういうのがある時って、いい作品になる。つくっている時に、セイノさんとかヒライシくんが来た時に、これはいけるなと思った。そういう外から来る力みたいなものがありますね。そういうのって、1年か2年に1回くらいしかないんですけど、神様が。神様と言っちゃったけど。
モノをつくる時って、ずっとそのことに意識を傾けていると、のり浜も修業みたいに何回も行って下りて、行って下りて、ただ海を見つめて何ができるか、「2年かかった」と言ったけど、行くたびにあそこに行って。そういうことで、不思議なことが起こってくる宇宙の力が集まってくるという感覚はあるんです。

小林:あそこ、波も強いから。「これ、波が来て崩れたらどうするの?」と聞いたら、「その時はまた起こせばいい」と。というのが一つの主題になっている。それがビシッと来るようなシチュエーションって、なかなかないから。

島袋:美術をやっていて、美術が嫌いなところは、駄目なものでも居すわるじゃないですか。ずっとあってしまうじゃないですか、モノとして置いちゃうと。この後ろにある花瓶とか嫌いでも――これは結構いいですけど――変わらずいるじゃないですか。あれって、美術の良くないことだと思います。だから、良くなかったら消すとか。
音楽って、そこまで厚かましくないというか。音がうるさい時はあるけれど、「ちょっと下げてください」とか、自分から逃げれば逃げられるところがあるんですけど。美術の欠点はそういうところ。そこのところで、厚かましくならないようにしたいなと思いながら、作品をつくっていますけど。

小林:その感覚って、何なんだろうね。すごく大事な気がするんだけど。場所取りじゃないけど、「自分のものだ」と言って根を張って。根を張るというのはいい言葉の部分もあるけれど。必要な部分もあるけれども。日本って、椹木さん(※椹木野衣/美術評論家)が言っていたけど「圧倒的に悪い場所だ」と。それは不安定な場所だということで。

島袋:土地自体が、ですか。

小林:土地が。

島袋:地震で揺れている。

小林:そう。だから、Reborn-Art Festivalをやって思うんですけど、ヨーロッパのアートの流れがどうだったかというのは詳しくないけど、安定した場所で、気候も良くて、だけど結局、侵略だったり略奪だったりという歴史がヨーロッパの中で何度も繰り返されてきて、大航海時代という植民地主義になって、アジア・中東・アフリカまで拡大していって。
今は経済がグローバリズムになっているでしょう。日本はずっと変わらずに、外からの圧力と共に不安がずっとある。でも、だからこそ、流動性というようなことを感じるんだけど。
象徴的な話で、津波で流されて、養殖をやっていた人たちが、「ちゃんと循環していなかったからヘドロみたいになって。でも津波で根こそぎ持っていかれて、新しくやってすごくきれいになった」と。

島袋:長い目で見ると、良かったみたいなことはある、、でしょうね。

小林:ピラミッドもよく言われるよね。昔は、あそこはすごく肥沃な土地だった。ナイル川の氾濫がずっとあったから、奥から栄養素が運ばれて。自然の中でだけど、壊されるけど、そこから新しい命が芽吹いてということを繰り返したんだけど。そこに堤防をつくって氾濫しないようにしたら、砂漠になっちゃうという。

島袋:ああいう人間を超える力があるということを、日本人は知っているわけじゃないですか。どうにもならない台風とか。そういうのがないと自然に対する敬意とか持てないですよね。自然とか動物とかに対する。ヨーロッパとか、そういうことがあまりないから、人間中心になってきますよね。人間がやれるんだという。
日本の人は、人間ではどうしようもないものがあると知っているから。沖縄なんかにいると、アニミズムみたいなものが今でも残っていて、ただの森とか石ころとかを神様として。あと、沖縄では井戸が神様なんです。水ってすごく大事だから。井戸とか木とか、そういうものに対する敬意みたいなものって、なかなか。逆に言うと、私たちは持っているわけで。
でも、そういうことを今、ヨーロッパの人たちも興味を持ち始めている。この5年でも変わったと思います。今、ヨーロッパの人はそういうテーマを、展覧会でも出してきます。そういう所で僕も呼ばれる機会が多くなっています。人間と動物の関係とか。自然との関わり方とか。そこで僕は役割があるんだなと思うんですけど、話を聞いてくれるようになった。それは、30年前にはなかったことです。どっちかと言うと、以前はヨーロッパの美術を教えてやる、みたいな感じでヨーロッパのアーティストたちは来ていたし。アートというのはヨーロッパやアメリカで行われているものが絶対でそれを一方的に理解するものだった。
音楽もそんな感じですよね。

小林:そうね。そういう意味でのボーダーというのは、音楽はだいぶやり尽くされたこころがあるから、今もう1回。

島袋:振り返るタイミング。

小林:そう。特に、生の楽器を使っていろいろやってきたというところを、もう1回振り返る以外に。PCを使って何かやっていくというものに、相当限界は来ているという感じがするけど。

島袋:もう1回、生の音楽に戻るみたいな。

小林:少なくとも、生の楽器の演奏が消えていくということは、絶対にない。むしろ今、若いミュージシャンとかすごくジャズ等を勉強しています。すごく優秀な人間がたくさんいるみたい。

一見矛盾してるけど、要素両方向をおろそかにしないで、
なんとか突破口を見つけようとするような、
思考停止にならないように探ろうとする人が増えてきてる

島袋:そういう意味では、若い人たちというのは――自分もまだ若い気でいるんですけど、僕らより下の30代とか40代の人って、だいぶ変わってきましたよね。農業をやる若い人でも、逆にやり方を教えてもらえます。雑草が生えたままやっているとか。福岡さん(※福岡正信/戦前の農業試験場勤務などを経たのちに自然農法を確立した農学者・農家)とか。

小林:福岡さん。会ったことないけど。

島袋:もう亡くなっているんです。あの人の考え方とか、若い人たちのほうが知っていたりして。ヨーロッパでも結構有名なんです。「わら一本の革命」(※福岡氏の代表的著書)そういう所かなと思ったんですけど、小林さんがやっている木更津の農業は。

小林:それは自然農法というやつですけど、農業のいろんな人たちと話していて、それを実践していくことの難しさという話をすごく聞いていて、僕らの農業法人の名前「耕す。」と言うんですけれども、ところが福岡さんがやっている自然農法は、耕しちゃいけない。微生物など命がある所に、人間が逆に「ちょっとお邪魔します」と、種を持って行って自然に育ててもらう。土とか太陽との循環の中で育ててもらって、「ありがとうございました」と言って、それをいただいて、「また来ますね」みたな。恐らくそれ位のシンプルさです。
ステキだなとは思っていたけれども、これから生きていく一つの営みとして、農業という「業」を囲んで、コミュニティやまちづくりみたいなものがあるやり方が、これからの日本の中で必要なことだろうと思って、そういうアプローチもしていたから、耕すということを割と積極的に受け入れていたんだけど。
実際に10年間やってきてみて、温暖化が進んできて。いろんな国で森を切り開いて、あれも残念ながら農業になっちゃうわけだけど。アマゾンの伐採で。彼らは牛肉とかをつくるため、トウモロコシ畑をもっとつくらないといけない。そっちのほうが金になるから。「アマゾンの森林なんか、何もお金を生んでくれないじゃないか」とブラジルの大統領は言うわけで。そうやって切り開いて畑にして、結局ああいうことをやってしまう。よく映像なんかで見る、大型のトラクターで、土埃が舞って。茶色い農業です。実りの時だけは青々とする作物があるんだけど、それを採ったら耕して茶色にまたなる。そして栄養分を入れていくという。
そういうことじゃない原始的な農の知恵みたいなものに、今だいぶ立ち帰って。でも、それでもその中から、業にもしていけるチームワークみたいなものをやろうとしているのが、世界でも出てきているんです。僕らも勉強しているところで。
地球温暖化のために相当有効だと言われている、炭素を地球に閉じ込めながら微生物と共に作物を育てていくという農業のやり方なんです。植物を絶やさない、植物が常にある状態でという。結局、福岡さんの自然農法にだいぶ近いと思います。

島袋:そういうことこそ、小学校とかでも教えたほうがいいですよね。朝顔を育てるだけじゃなくて。だって、アートも大事ですけど、農業、大事ですよね。野菜なかったら大変。クルックフィールズは小学校とかに来てもらうようにしたらいいんじゃないですか。

小林:もう来だしているみたい。

島袋:それはいいですね。美術館にも来てほしいですけど。
このあいだ連れて行っていただいた品川のレストラン。カンテサンスのシェフ(※岸田周三氏)のインタビューを読みましたけど、あの人も魚が少なくなっていることを危惧して、水産庁の役人と会ったりしている。自分が料理するのに素材がなくなったら大変だからということで、いかに海洋資源を守れるかとか、やっていましたね。あの人も若いですよね。40くらいでしょう。偉い人なんだなと思って。料理の素材、いいものを仕入れるだけじゃなくて、資源を育てるとか資源を守るみたいなことまで考えて、料理をやっているんだと思って。若い世代の人って。

小林:増えています。

島袋:そういう意識を持った人たちのグループをつくってやっているみたいで。たまたま見て、すごいなと。そういう意味で、若い意識の高い人は確実に出てきているなと。それと多様になってきていますよね、一時よりは。いろんな考えの人がいる気がします。

小林:そうね。一見矛盾してるけど、要素両方向をおろそかにしないで、なんとか突破口を見つけようとするような、思考停止にならないように探ろうとする人が増えてきてるとも思います。

島袋:でも問題は、少数のおかしな考えをする人に、みんながつくってきたものを一気にブルドーザー式でつぶされたりもするわけじゃないですか。ところで今回コロナで良かったことは、政府が一度決めたことをひっくり返すじゃないですか。こんなことこれまでなかなかなかったですよね、一度決めてしまうと。給付金やGo Toのことも。迎撃ミサイルとして配備計画されていたイージス・アショアのこともそうですけど、やめたじゃないですか。やめたり、変更したということが最近幾つかあるじゃないですか。あれは結構いいことだなと思っていて。
決めたことでもやってみて良くなかったら、さっきの置いたものを撤去するじゃないですけど、やめたり、変更すればいいと思う。そういうレッスンにはなっていると思います。給付金のことは最初は「困っている人だけに30万」と言ったのが、みんなに10万円になったじゃないですか。

小林:ほんとにそうなんだよね。昔はap bankをつくった時、よく変更するわけ。いろんなバランスがあったので。「とにかく、もう1回ちゃんと考え直そうよ」という。それができないのは問題だと。
日本はずっとそう。「だんな、知らなかったんですか。この車、アクセルしか付いていませんぜ」みたいな。ハンドルもブレーキも付いてない。「付いてないんです。乗ったからには行くしかないんですよ」みたいなことばかりだった。

島袋:そう。決めた通りにやらなきゃ、みたいな変な意地みたいなところがあって。決めた通りにやらない勇気が必要だと思います。

小林:そういうふうにずっとなっていたんだと思うんだけど。そういうためにも、全体感から僕らができているという視点みたいなものを持つことが。別に優等生的なことで言うわけじゃないけど、倫理観というか、エシカルというのがあるけれど。そういう感覚になったほうが、いろんな工夫ができていくし。でも、そういう兆しが出ているとは思います。

島袋:兆しというか、無理やりそうじゃなきゃいけない状況に追い込まれているわけですけど。

小林:「最初から分かったほうがいいんじゃない? もうちょっと」と言いたいとこもあるんだけど。相変わらず、すぐアクセルだけの車に乗り込もうとするから問題になる。

島袋:今回、取りあえずやってみて引き返す、ということをやっているわけじゃないですか。ちょっと面白いなと思っています。防衛大臣だった河野さんでも謝るのとか。謝る勇気も必要ですよね。

島袋:アートって常に新しいことをしなくちゃいけないみたいなところがあるんですけど、そろそろスローダウンする勇気とか、立ち止まる勇気みたいなことを、僕は東北の地震の前、2010年くらいから考えていたんです。
そのころ、イギリスのホーキング博士が、「宇宙人とは接触しないほうがいい」というメッセージを新聞記事に出したんです。それが響いてきて。それって、宇宙開発とかそういうことではなくて、僕がどう取ったかと言うと、家族とか友だちとかと、身近の人や生き物ともっとちゃんと時間を過ごそう、みたいに勝手に取ったんだけど。ホーキング博士が言ったのは、それこそ免疫学的に、宇宙人と接触するとわけが分からん病気が来たりするからやめたほうがいいという、現実的なことだったんですけど。英語で読んだので、見出しだけ見て、すごく自分の心に響いてきて。
それから生きたカメを美術館に連れて行くとか、スローダウンすることを考えて提案するために、そういうことをやっていた時に地震が起きたんです。
その頃、横浜トリエンナーレに出品が決まっていて、最初に出したプランでは、工事の資材置き場に「やめる」というサインを並べることを考えていたり。重要なことは、「やめろ」と言っているんじゃなくて、「原発をやめろ」じゃなくて、「やめる」自分自身で自発的にやめていくことが必要じゃないかということなんですけど。でも、これは実現しなかったプランなんですけど。
ちょうど地震が起こって、原発のこととかあったから、「抗議運動に見えるからやめろ」と。僕としては抗議ではなく自分自身の宣告というか、「たばこはやめる」「酒はやめる」「何をやめる」みたいな。「る」が大切なんだよということでやったんですけど、タイミングが悪すぎて真意が全然理解されなかった。

結局、もうちょっとやわらかくということで、「たちどまる」というサインを新幹線に乗っている人から見える田んぼの看板に設置しようとした。横浜トリエンナーレを見に大阪とかからバンバン人が来るじゃないですか。そして大阪・東京を行き来している一番忙しい人たちに、「たちどまる」というサインを。田んぼに化粧品とか布団の宣伝の看板があるじゃないですか。あれを使いたいという。実際やってないんですけど。これも「政治的だ」と言われて、許可取れなかったんです。
こういう看板って、地方自治体の許可がいるらしくて。許可が下りなくて。結局、以前から僕の活動を応援してくれていた資生堂さんが、新幹線の通るすぐ横にある掛川の資生堂アートハウスの壁を貸してくれて。「たちどまる」というサインを掲げられた。それが僕の横浜トリエンナーレの作品です。
英語では「Stop and Think」という感じですけど。止まって一度考える、みたいな。逆に今のコロナの状況にもつながってきたな、みたいな。日本の政治が見直しを何度もするというは初めてのことだなと。

対談を終えて

東北でまた大きな地震があったり、一方で原発の再稼働の計画が進んだり、震災から10年という節目は、改めて慰霊の想いは持ち合わせつつも、コロナのことも含めて、決してシンプルな想いだけでは済まされない感じです。

そんな中で、2021年、3回目のリボーンアート・フェスティバル開催の決定が発表されました。

内側からの復興をイメージして、準備から二度の開催を終えるまで来たわけですが、表現の場を宮城石巻で失わないことを、なにより優先するべきだと考えました。

島袋さんとの対談は、開催決定のためにとても役立ったし、きっかけにさせてもらったと思っています。忙しい彼ですが、今後もリボーンアート・フェスティバルに、ぜひ関わっていただきたいと考えています。

小林 武史

PROFILE島袋 道浩

美術家。1969年生まれ。神戸市出身。12年間のドイツ、ベルリン滞在後、2017年より那覇市在住。1990年代初頭より国内外の多くの場所を旅し、そこに生きる人々の生活や文化、新しいコミュニケーションのあり方に関するパフォーマンスやインスタレーション作品を制作。詩情とユーモアに溢れながらもメタフォリカルに人々を触発するような作風は世界的な評価を得ている。パリのポンピドゥー・センターやロンドンのヘイワード・ギャラリーなどでのグループ展やヴェニス・ビエンナーレ(2003、2017年)、サンパウロ・ビエンナーレ(2006年)、ハバナ・ビエンナーレ(2015)、リヨン・ビエンナーレ(2017年)などの国際展に多数参加。前回、2017年のリボーン・アート・フェスティバルにも参加し、鮎川ののり浜で「起こす」という作品を発表した。2021年にはヨーロッパ各地での大規模な個展が企画されている。作品はポンピドゥー・センターやモナコ新国立美術館など世界各地の美術館やアートセンターに収蔵されている。著書に『扉を開ける』(リトルモア)、絵本『キュウリの旅』(小学館)など。